閲覧自己責任

閲覧は自己責任で。底辺サバイバーの笑うしかない独りナラティブセラピー。☆マークのついている記事は特に読むのに注意してね。

救いは突然落ちてくるもの

だけど君はそうじゃない!!!

そのままで大正解だった
いつだってSaturday Night!!!

それだけで大成功だった

https://youtu.be/Fk5ENjqtvpg

 

これからも優しくて唯我独尊で自由奔放で無邪気な彼らに、わたしは勝手に助けてもらうのだろうな

 

わたしの大好きな人たちが、ずっと音楽で遊んでいられますように

 

☆アルティメット無力

強そうなタイトルつけた。

 

新学期の授業開始日が延期になった。そう、怖いのか怖くないのかよくわからない某ウイルスの影響である。

危惧はしていた。だけど実際大学から通知が来たらめちゃ虚しくて悲しくて涙が出た。

それは学校が恋しいとはまた異なっていて。前提としてわたしは授業とか学校とかが嫌いである。好きだったら10年も不登校やってなかった。

大嫌いと言っても過言ではない。

テキストを早く進めてると怒られて、平均的な能力を求められて、できないと恥さらしにされるところだ、好きなわけない。

だが今回の授業開始日の延期はなんて表していいかわからないほどしんどい。

自分の存在価値を思いっきりハンマーで殴られてさらに地面に沈まされた気分。

世の中から不要だと囁かれた気分。

まじで無理〜〜!

 

なぜそこまで悲観してるのかというと、自分の無力さに腹が立ってるからである。

世界的に混乱に陥ってるなかで、わたしはいま春休みで無職で毎日ダラダラしている。

正義感に駆られてるわけではない。ただ、周囲がこんな大変な時でも働いているのに、なんか、とても、自分が情けない。

働きたい。働いて金をもらって、そうしてバンドにお金を落としたい。

だけどそれができない。いろいろ考えるけれど何も解決策は見当たらなくて。落ち込めば落ち込むほど、親に洗脳のように言われてきた「読み書きはできるんだから」という言葉が頭の中で繰り返される。

ここで使われる「読み書き」というのは識字や書字という意味ではない。読解と論述とでもいうか。文章を読んで理解すること、情報を文章として並べること。そのふたつはできるのだからと何度も言われてきた。言った父はその言葉がわたしの救いになると思っているのだろう。しかし残念なことにわたしはその言葉をこう捉えてしまう。「読み書きはできるんだから。他はできないけれど」

言い返したくてもできない。それは父は反抗できないということでもなく、また、口論が不得手だからでもない。むしろ舌戦、プレゼン、プロモートなどは得意、というか、できてしまうほうで、頭より先に口がすらすらと言葉を吐き出し、話した相手が納得した顔で頷いてるのを見て、改めて頭が自分の言葉を認識するくらい、口がよく回る。これは長所なのだろうが、わたしからしたら気味が悪いことでもあった。

で、ならばなぜ言い返せないのか。理由は1つ、事実だからだ。

わたしの体はポンコツなのだ。不健康というかなんというか。暖房と間違って冷房ガンガンかけて冬の東北で就寝し、風邪をひいたことはあるが(お茶目☆)、ここ数年それ以外でそのような風邪症状やインフルエンザにかかったことはない。血液検査の結果も常に良好、歩くの大好き、ライブで2時間踊り狂っても走れる、など、健康といえば健康なのだが、それでもポンコツに変わりはなく、社会で働ける体は持ってない。

ただの気分屋ならばそれに越したことはないのだが、そうもいかない実績(?)が確かにあるので、わがままと言えないのが、逆に辛い。わがままだったら自分の気合いでなんとかなるからね。

自分の意思じゃ律することのできないなにかが体に作用するので、迷惑極まりない。

うつ病の後遺症なのかわからないけどとにかく脳にバグがあるので見事なポンコツボディで生きている。

それでもやはり神様は慈愛を持っているのか、何かしらの能力は与えてくれたらしい。

それが「読み書き」だった。

簡単に言えば「人より勉強ができる」。

めっちゃできる!天才!ではない。だけど平均よりはずっとできるのは確かで、高校受験までは特に努力しなくても定期テストでは高得点を取っていた。授業に出てないのに1位をとっていたりしたので、クラスのカースト上位女子にはいろいろ面倒な絡み方をされたものだった。あのプライドの高いゴリラは元気だろうか、究極にどうでもいいけど。

高校生時代も、理数系はあまりにも不出来すぎて捨てたのでなんとも言えないが(単純計算で失敗する、そもそも数字に弱い、図形がわからない、グラフのマス目がよくわからないなど致命的に苦手)、現代文、古典、日本史、英語は全部独学だった。疑問が生じても参考書を読めば全部解決した。まあこう言っておきながら第一志望校に落ちたので、ここは会場大爆笑とでも言っておくか。

いろいろ俺頭いいぜウェイみたいなことを書いたが、別に自慢したいわけじゃない。むしろ逆で、書いてて、ごめんなさい、ごめんなさいと泣きそうになっている。

それしかできない人間でごめんなさい。

それしかできないので、自然と「勉強」はわたしのすがりどころであった。

ずっと、勉強することだけが、知識をつけることだけが、わたしがこの世で生きていていい理由な気がしていた。

だって他のことできないからな。

中学生の時も、高校生のときも、受験が心の拠り所だった。結果が数字で出るから、良い点を取れば、それが存在許可に思えた。

大学は簡単に数字が出ない。今まで点数に力をもらっていたわたしは一気に溺れることとなった。

だけど新学期からゼミが始まることとなっていて。そこは課題が多いところで。働けることもなく毎日をぼーっとしながら生活する春休みの心の支えは、課題が与えられる日が近くに訪れるということだった。

レポートが好きというのはなかなか理解されないものかもしれない。もちろん嫌い、というか興味が持てないものに対して意欲はわかないので人並みにめんどくせーとは思うが、それでも与えられたテーマについてあれこれ思考を飛ばしていくのは大好きで、小学校の図工の時間のようにわくわくするものだ。

何より課題を出したら読んでもらえる!ヘタクソと低い点が返ってきたって別にいいのだ。考えて、考えて、書いたものを読まれて評価されるのは嬉しくて仕方ない。(だから事前課題を出してくれない現状に拗ねている)

なのに

延期になったーゆるさねえ〜わたしの楽しみ〜ウイルスのばーかばーか!!!

いつになったらわたしはまた、「勉強している立場」に戻れるのだろう。春休み、自分が世の中のどこにもいないようでとても心細い。

まあここにそんなこと書いたって、ウイルスは気持ちを噛んだはくれないのだけど……

 

 

 

追伸 

ツイッターアカウントのプロフィール欄にリンクを貼ってしまっている以上、仲良くしてくださってるフォロワさんがたがこのブログを読んでいる可能性があるんだなって気がついた(遅い)

いつもありがとう、そしてこんな文章を閲覧させてしまって申し訳ない。

もし読んだ上で、それでもわたしとふつーに仲良くしてくれて、お喋りを楽しんでくれているのなら、この上なく感謝です。そして恩人なのです。

リンクを貼っておきながらこれを言うのは滑稽ですが、これからも、こんなブログが存在していないように接してください。

やさしいあなたにたくさんの幸せが訪れますように。

 

 

☆映画について②

脇腹が痛いよぅママァ‼︎

常に体のどこかしら痛い。もはやわたしはこの痛みと共生していくしかないのか?わたしの人生の伴侶は神経痛か????

 

お医者さんで出された痛み止め?がウサギの力を借りて(ソフト表現)作られてるらしくてほんとやだ。マジごめんぴょん吉(仮)🐰。

加えて、なぜそれが効くのかわかっていない、みたいな文も見つけて。

 

医者から出される薬、意外と「なんで効くかはわかってないんですけど……」ってのあるよね!!

 

過眠症のとき出された薬もそのタイプで、「なんか効くらしいんですよね〜……試してみましょう!」って感じだった!不安症の患者の不安、煽らないで!

 

ちなみに『医者から言われた衝撃の一言』第一位は「えっと、なんの病気だと思います……?」だよ。ここまでキレイに匙が放物線を描いて投げられたひとそんないないと思うよ。

 

ということはまあいいや。前回何書いたか忘れてたからパララ〜って読み返したら「アーサーすごいんご!」って書いてあった。

あとチラッとアクセス数見たらこのブログ読んでるひとちらほらいるらしいんだけど、今のところ何も文句きてないから続けていいよね。いいと思う!

 

「パラサイト」観たんだよ、という話。

1月23日木曜日だった。ちょうどテスト期間中。テスト終わって超急いでやーしぶの映画館向かって券売機に行ったら、残り10席くらいしか残ってないほどの人気ぶりで驚いた。こないだ、うん?いつだ?2月の19日に「1917」観に行ったのだが、その時もその日の上映がほぼ満席状態だった。にんきなんだねー(感想力皆無)

 

映画のことはほんと詳しくないし、幼い頃は母の影響で洋画名作をたくさん観ていたのだが、鬱になってからは集中力の持続能力をなくしていたので、何年も映画離れをしていた。これはドラマにも言えるのだが。

何が言いたいかというと、わたしが映画を観るというのが楽しいと気づいたのはここ2年くらいで、ほんっっとに「映画」という文化の、真髄とか流行とかまったくわかりませんよ、ということをここに書いておく。

 

そんなわたしでも思っだことがある。パラサイト、これは映画館で観るべき映画だなぁ、と。

いや、どんな映画も映画館で観るべきなのだろうが、なんというか。「映画」というものの持つ表現のあんなこんなを最大限に利用した映画だなと思ったのです。

音、音楽、スクリーンで観るために作られた映像、あと、家で少人数で観るんじゃなくて、映画館という300人くらいが一気に観る環境で「観る」ということ、そういう「映画ならでは」が持つ力を勿体ぶらずに使い切った映画だなぁ〜って。

家のテレビで、CMを挟みつつ、またはいつでも一時停止できる環境下で観賞したら、おそらく面白さが一気に下がる、というか、面白さの角度がまったく変わってしまうのではないだろうか。 

 

だめだ、眠い。また後で書く

 

 

 

 

 

 

何日か経った!!何日か!!経っていた!!でも続き書いちゃえ。

 

そう、うん、パラサイトの話。今更ですがネタバレありです、って読んでる人いるのかなこれ。

 

韓国での経済格差や受験戦争、それらから外れてしまった劣等感からうまれるむごい事件等は大学の授業でよく取り上げられていたので、改めて、映画というのはある程度背景の知識があると、ない場合よりプラスで理解が深まる、というか話に入りやすくなるんだなぁと思った。

 

見てから1ヶ月以上だったのだけれど。この間ジョーカーのこと書いて、ふと気がついたのが、ひとつ。

 

ああ、パラサイトの、半地下家族ってみんな、働こうと思えば働ける人たちなんだよな。

 

「健常者」という言葉が苦手でして。というものも、倫理学の時間に障害者差別を扱っていたんだが、学生がこうコメントするのよ。「もし障害者が身近にいたら、助けようと思いました」そんなコメントを、いくつも先生が読み上げててさ。

は? となったのですね。そして学期末の自由レポートでひたすら「自分を『健常者』と思っている、または障害者がまわりにいないと思っている、彼らのそのマジョリティへの無意識の帰属意識ってなんなん?」について書いたんだが、まあそれら置いておき。

(魔除けを1つ置いておくと、わたしが『障害』をこの漢字で表記するのはちゃんと自分なりの答えを持っているからなので、突っ込む必要はないですハイ。)

 

でもここではほんと吐き気するけど仕方なく『健常者』という言葉を使う。それは別になにか心身が抱える何かしらの性質によって生活や仕事に困難を抱えている人々との区別をしたいからではない。ドラマなどのメディアで多く描かれる、生活するうえで、または仕事をするうえで「困難のない」「普通とされる」「多くの人々」の「イメージ」としてこの言葉を用いようと思う。嫌だけどね。

 

半地下家族の4人。父、母、兄、妹。4人とも映画を観ていた限りではピザの箱折の内職以外、仕事を持っていないように思えた。

じゃあ彼らは「仕事を持つことに困難を抱える人々」なのか、と言ったら、きっとそんなことはない。

実際、富裕層家庭に進出(?)し職を得て、その役割を難なくこなしている。家庭教師、美術教師、運転手、家政婦。そして映画内で雇用主から「仕事ができていない」と言われている場面も確かなかった。

そうなのだ。彼らは「働けば働くことができる人々」なのだ。

なのに、貧困家庭であった。半地下の住人であった。

 

反対に、だ。富裕層家庭の4人は、どんな人物だっただろうか。対人において線引きを重視する社長の父。やや潔癖な感じが見られたが、社長やってるくらいだから働ける人なんだなーって思う。次、母、というか奥様。家政婦なしでは何もできない生活能力の低さ、そして全てを無垢に吸い込んでしまう純粋さ。きっとこの奥さんは働くことができない。というか、そもそも、「自分が働く」という概念が頭の中にないのだと思う。「自分が働くなんてありえない」という考えではない。まるまるすっぽり、労働と自分が結びついてない人だ。そして姉弟。まだ幼いからはっきりとはわからないが、将来的にこの2人は「働ける人」になれない気がする。愛に飢えた姉(めっちゃあの子かわいいね)、定型発達ではなさそうな弟……

もちろん年齢や能力が発揮できる分野が異なるので良い比較とは言えないが、比べてみると、社会において「働けば働くことができる」人間が多いのは半地下家族のほうなのである。

富裕層家庭の面々に障害があると言いたいわけではない、これを大前提とする。それでもって、これを言う。

半地下家族は、全員『健常者』でありながら、貧困家庭である。

 

これに気づいた時、ゾッとしたのよな。

 

ジョーカーの時にも同じようなこと書いた気がする……? のだけど、えっとな。

心身に、生活に困難を及ぼす何かしらの性質があると、職の選択肢が限られて、しかもマジョリティに比べると安定した収入を得られる確率が低いのである……。

友達と就職の話になった時。彼女は言った。「できるかできないかより、好きな仕事につくべき」と。

わたしは逆で。「好き!と完全に言えなくても、できる仕事につくべき」という考えを持っている。もちろんどちらが正しいとかはない。これに関しては人それぞれでいいと思う。だけどな、いろいろ困難抱えてるとな。能力に限界があるとな。職が選べないんだ。

いきなりわたしのナラティブになるが、私は感覚過敏持ちである。薬でなんとかしてるため恒常的ではないが、聴覚、視覚、味覚(嗅覚)の過敏がひどい時は外出ができない。うるさくて、まぶしくて、くさい。体調が悪いとその症状は一気にわたしにアタックをかけて日常をぶっ壊してくる。

高い音、それも多数の音が重なってる場所が苦手なのでスーパーに行く時、1人で電車に乗る時はイヤフォンとiPodが欠かせない。

季節や天候に関わらず、今日眩しくない?と思った日は多少、いやかなりガラが悪くなるが、サングラスなしでは過ごせない。平衡感覚に狂いが出るので階段を下りるのがめちゃくちゃヘタクソになる。同じ柄が並ぶ段差のわかりづらい階段は絶滅してほしい……。

味覚が過敏な時は何食べても味が濃くて、塩の塊や砂糖の塊を食べてる気しかしない。これはある意味鈍麻なのか? わからんな。ちなみに嗅覚の場合は、いつもは気にならないにおいが頭の中に刺さって吐きそうになる。

こんな人間が、これらの性質のない人々と同じ職業の選択肢を持つだろうか?

持たないよ〜〜〜!!!

ちなみに居酒屋やライブハウスってどうなんって思われるんだろうが、これは経験で回避テクニックを習得したので基本的に無傷である。まあ仲のいい方々といることでメンタルが落ち着けるからでもあるが、というかほぼそれだが。

 

で!!!!!!

 

何が言いたいか。パラサイトの半地下家族は、おそらく、働く力が「ふつー」にあって、職の選択肢も「ふつー」にある、はずなのだ。なのにピザの箱折をしている。就活している様子もない。

彼らが怠惰だからである!とは一切言わない。怠惰だったらあんなに作戦立てて富裕層家庭の職のっとりを行わないと思う。

だから、ゾッとしたのだ。

彼らを「貧困家庭」に仕立ててるのって彼ら自身ではないんだなと。

そういう社会がそこにあるからなんだろうなと。

わたし詳しくないよ?授業でかじった程度だしほんと無知無知の実の能力者だよ?だから予想だよ?

ない頭を絞って出した考えがこちら。

「個人の能力に関わらず貧困が(あるいは富裕層が)連鎖する社会が『そこ』にあることを、映画は描きたかったのではないか」

 

眠くなったから続きは③で書く。いつ書くかは、知らんけどな。

 

 

 

 

 

繰り返し書くけれど、わたしが書くときに使う言葉は、その言葉をここに出すことでどんな色が並ぶかしっかり考えた末に置かれたものなので、誰かを傷つけるつもりは全くない。

わたしがそれを使うことでわたしが傷ついても、誰かに対して刃先は絶対向けたりしないから。

な!

 

☆よくあるやつ

10年前の自分へ

 

お前が思うよりも世の中は素敵なことであふれてるよ!

 

なんて言えるわけねえ。

 

お前が思うよりも世の中には差別が溢れていて、思考回路がさっぱり理解できない人間が老若男女に存在していて、人の尊厳は簡単に踏みにじられて、声を上げた弱者は顔も出さない匿名のマジョリティに罵られる世界だよ。

 

だけどお前の直感が優れていることはたしかなので、絶対にそれを離さないでくれ。

 

どんなにバカにされても否定されても笑われても、好きなものを信じてくれ。

 

周囲に自分の好きなものを否定されまくる日が何年も続きます。そこに救いはありません。

 

でも16歳の秋に、人生が変わる数秒に出会えるから。

それまでたえろ。

 

それに出会って人生が急変!好転!ということはないです、そのあともマジ壮絶よ。

 

だけど嫌なものから逃げるという手段が「正当」であるとわかったら、諦めることが「前進」だと気づいたら、まあまあ楽な感じになります。

 

そんなふうで「悪い人間」になっていくと、徐々に徐々に、それでも、2019年からいろいろ変わるから、そこんとこよろしく。

 

あ、メンヘラは治りません。ごめんぽよ〜!

 

 

 

『愛が世界救うだなんて僕は信じてないけどね』

 

頭を撃ったその弾丸を、耳の穴からこぼさないように。

 

 

2020.03.04

 

 

 

 

☆映画について

朝起きたら内臓ポロリするんじゃないかってくらい腹痛くて、うわーんうわーんってしてたらここ数日考えていたことが一気に文章化して、頭の中がアホうるさいのでブログ認めることにしたよ。

 

映画「ジョーカー」と「パラサイト」の話だよ。

好きなバンドについて書くはずのブログになんでいきなり、って感じだけどここしか書くとこないんだもん。

 

で、だ。

 

映画のネタバレはめっちゃするよ。考察でもなんでもないよ。ただの感想。あとあいだあいだに私のどうでもいい過去の話入るよ。なかなか笑えない話ばかりだから読まなくていいよ。

 

というわけで。

 

ジョーカーもパラサイトもとても話題になったね。私今まで話題になった映画を観に行くことがそんなになかった(そもそも映画館で映画を見るのって結構体力いることだから、ほんとに見たいものしか見てこなかった)のだが、ジョーカーは友達に勧められて、パラサイトはネットでの盛り上がりにそそられて観に行ったんだな。一人でポップコーン食べてるとたまに虚しくならない? そんなことない? まあそれはいいんだけど。

 

まず、ジョーカー。

友達が見てきたって話してきて、「暗かった……」と聞いたのでかなり覚悟して見にいった。Twitterとかでも鬱だ、悲しい、ショックだ、みたいな感想があったから、こりゃあ翌日に響くくらい力を持ってかれるな……と、見る日にちと時間はかなり考えて見にいった。

 

のだが。

 

めっちゃルンルン♪で帰った。他のお客さんとハイタッチしてえ!というぐらいご機嫌、映画館のある施設内を踊りたくなるくらいの清々しい気持ちで帰った。

(自分だけなのでは、こう思った私なかなかヤバイのでは? と思っていたけど他にもいるようなので安心)

 

ネットの考察ブログなどを読んで「へえ〜!」となったり、あとバットマンを全く知らないのでそこらへんの情報をWikipediaで読みまくったりした。なるほどーとは思ったが、私が改めて考察するようなことはなく、先にも言ったがこれは感想文でしかない。

 

ジョーカーめっちゃルンルンした〜〜!

 

でもやはり観賞後鬱な気分になる人はいるようで。この違いはなんなのだろう、とそれについては考えまくった。

別にどちらかを肯定・否定したいわけではない。人の感じ方なんて多種多様さ。法に触れてない限り、倫理的に問題な発言を指摘する場合じゃない限り、自分の思考を以て他者をバッシングするのは個人的には好きじゃない。

だからほんと、ただの考えをつらつら書くだけ。傷ついたらごめんって感じだけど、書いたから読んだくり〜!!みたいなブログじゃないからいいかなーって。

 

私の考え。

ジョーカー見て、ルンルン♪した人って、多分「社会に対して期待してない人」な気がする。

細かく書くと、「この世は大変で苦しいし、社会制度は完璧じゃないからしっかり助けてくれるわけでもない。むしろ助けようとすらしてない部分もあるよね。生きてて楽しいこともなくはないから死なないでいるけど、人生は地獄だ」と、社会に対して開き直りのような諦念を抱いてる人。

 

私は公開時期あたり、ちょうど、なんというか、ジェンダー論をやっていて、「あ、この世界ってほんと救いがないんだな」ってふと朝に気付いて、吐きそうになりながら大泣きしていた時期だった。そして元々、プラス方面に社会への諦念(伝わらなければこれはいいや。希望を持つことの方が絶対輝かしいから、希望がある人は、嫌味ではなく、そのままでいてほしい)があったので、こっち派の人間である。

 

注意書きとして書いとくと、これは私の勝手な考えであって、ルンルン♪で帰った人はみんなそうだー!と言いたいわけじゃないからな。

 

ジョーカーの主人公のアーサー。トゥレット症候群かな……? 自らの意図に反して笑ってしまう病を抱えている。大変だと思う。大変だよなぁ。周りからめっちゃ怪訝な目線で見られるし、それも劇中で描写されていた。辛いよなー。

自分がしたいわけじゃないのに脳の誤作動で、外見的に異状が出てしまうのはめちゃくちゃ辛いです、はい。私にとってはあるあるです。

 

でもアーサーマジすごくね?って私は思っていて。

えっと

・働いている

・母と、貧困ながらも暮らしていけている

・カードを見せることで周りに病であることを教えている

・行政?のサポートを受けている

 

思い浮かんだのはこれ4つ。ここで、それなー!って思った人、ハイタッチしよ。

 

まず

1「働いている」。これほんっっっっっっとすごいんですよ。

働くことくらい普通でしょ?って世の中の9割くらいは思ってるだろうけど、働くって私から見たらとんでも無い偉業です。

私はバイトしたいと言い出すたびに親に諭される……と言ったら聞こえはいいけど、遠回しに「社会に迷惑になるから働こうとするな」と言われてます。

父はどうやら私に対して「大学に8年いて、そのあと院に行って、またそのあとも大学にいたらどうだ?」みたいなことを考えているって母から聞いておったまげたね。もちろんそんなずっと学費を払えるほどうちは裕福ではない普通の家庭なので、ただの理想論っつーか、そうならないけどそうであってほしい、くらいのものだろうけど。

だけど、いや、なんか……。めっちゃ傷ついた。父の言葉には悪意はない。悪意がないから、ゾッとするのだ。本心から親切で、「社会に出るな」と言っているのだ。周りに迷惑がかかるから。

優生思想に近いのかなって。

 

突然の自分語り、アーサーどこ行ったねん、となるが、これ書かないと多分これのあとが伝わらないから書くわ。

私の頭の片隅で、Twitterのプロフにリンクを貼ってるんだからフォロワーさんに読んでもらって優しくされたいんでしょ? ってクソリプマンが言ってくるけど、いやフォロワーさん今でも十二分優しいし、私、自分のゴミゴミ過去に対しては「そんな状況でよく今生きてるなぁ」って笑ってほしいと思ってる。現に私は悩みを話してくれた友達に笑い話としてたまにこの話を提供する。類友なのか、友達のほとんどは「お前も大変だったの〜仲間〜!」とハイタッチしてくれる。そういう時間、私好きね。

 

小学3年の時にうつ病になった。

はやすぎるわ!!!!

ってか、ずっと学年で1番の優等生。先生からもクラスメイトの親からも信頼を得て、クラスメイトとも仲良し。リーダー的存在で成績も良い。そんな児童だったんだけどね。

自分はちゃんと作業に取り組んでいるのに同じ班の人がふざけてて、先生が「ちゃんとやりなさい!」と怒った時。一気に心が折れてそれから不登校になった。

あの時は言語化できなかったけど今ならわかる。「あ、頑張ってても所詮無駄なんだな」と幼いなりに察知したんだろうな。

そこからは雪崩落ちるように学校に行けなくなって、まだ当時は不登校なんてメジャーじゃなかったから学校も親も大混乱、私はいつのまにか鬱っぽくなっていた。友達と話すのが大好きだったのに急に「話して何になるの?」とコミュニケーションを拒絶し、読書に没頭。その後学校に行くことはほとんどなくなった。

そしていつの間にか鬱になってて。流れるように強迫性障害、不潔恐怖で異常なほど他者が触れたものを恐れ、もっと外に出られなくなった。

あまり記憶がないので不確かなことばかりだが、簡単にいうとそういう状況が17くらいまで続き、その後はなんとか他人と交流する能力を取り戻しながらも、ひたすらフラッシュバックに悩まされ、去年の春になってやっとそれなりの生活を得ることができた。約10年の地獄である。なんでそんなやつが上京して一人暮らししてるんだろうな? 世界のミステリーで特集されちゃうよ〜!

今も後遺症はある。うつ病に後遺症あるのか知らないけど、心身ともに成長期の10歳〜17歳くらいまで、入院できないほどの重度鬱で、寝たきりで、精神科の強い薬飲みまくって、周囲との人間関係が崩壊した中にいたら、何かしらの影響は脳かどこかに現れてる気がする。いや、現れるっしょ。知らんけど。

家庭崩壊の一歩手前まで行ったし。家族の4分の3が鬱ってどんな状況だ。唯一まだ穏やかな心を保てた父でさえ私にブチ切れしたし、突然車に乗せられて山に捨てられかけたし(覚えてなかったけどこないだ言われてめっちゃ笑った)、思春期にそんな日々過ごしたら人生観おかしくなるよ〜。

 

もっと大変な人はいるだろう。だけど私は私の人生しか知らないからね。私の方が大変でした!って人がいるならそれでいいと思う。

 

で!!! アーサーの話だよ!! 

アーサー働いてるのほんとすげえって話。

コメディアン目指して、大道芸人事務所?みたいなところで働いてたよね。

うまくいってなかったようだけど、それでも働いていた。母と二人で生活できるくらいにはお金は得ていたのだと思われる。アメリカの生活保護制度に対しては無知なのでそこらへんわからぬが、そういう支援受けてる様子はなかった?よな? 一度しか見てないから曖昧な。

 

もちろんアーサーは私と違い、介護すべき(養うべき)母がいて、自分が働かないと。の状況だっただろう。でもだったら他に職があったよなぁ、とも思う。違うからな?病気があれば夢を追いかけられないとかそう言いたいわけじゃないからな?私がそれを言ったら一寸以前に闇だわ!!

 

アメリカの福祉制度知らんからこれ見てバーカバーカ言う人いるかもだけどそれは無知な私が悪いのでそれはそれでいいとして。

健常者のように(健常者って言葉好きじゃないけど使うしかないから使うわ)働けない人たちを支援する目的として作られた職場って日本ならあるじゃん。そういう環境で働きながらコメディアンを目指す、って、それはできなかったのかなって、映画見て数ヶ月後、どなたかのブログを読んで思った。

 

まあ何にしろ、働いて賃金を得ているのはとてもすごいことなのですよ、ということを書きたかった。

 

2「母と貧困ながらも暮らしていけている」

1の内容とかぶるかな。割愛しちゃお。

 

3「カードを見せることで以下略」

個人的にはこれ、社会適応能力高いなと思いました。適応「できているか」は別として、適応「しよう」、周りに、自分が悪意を以て笑い出したわけじゃないですよ、と伝えている。

この努力(待たされていたのかもしれないけど)、泣ける。えらいよアーサーとしか言えない……。

 

4「行政?のサポートを受けている」

これすごいことだと気付いた人、はーい!

「受けないと生活できないからでは?」と思う人もいるだろうさ、確かにそうだろう。

だけど世の中には何かしらの事情で行政に頼れない人っているから。

支援の情報を得られる手段がなくて、支援から漏れてしまう人。

はたまた、知ってはいるけど、周囲から「支援を受けるなんて」と理解されずにサポートまでたどり着けない人。

他にもいろいろあると思うわ。

でもね、アーサーね、福祉事務所的なところ行ってカウンセリング受けてるんですよ……すごいよよく頑張ってる……

ああいうのって予約制だよなー、アーサーさ、定刻通りに予約に到着してるんだよね……すごいよね……

私なんてまず時間の計算が遅い・時間の感覚があまりない・脳の誤作動で突然落ち込んだり発作的な怒りが湧いて動けなくなったり、で定刻通りの到着ができる確率、ハーフアンドハーフだよ……。だから「余裕を持って行動しよう!」を実践するがあまりライブの時とかめっちゃはやめに着くもん。それか間に合わなくて走るもん。

「予定にちゃんと到着する」

これができてるアーサー、ハイスペックだよ……。

 

そんで、福祉支援の話を受けてなんだが。

私映画で唯一涙腺にきたのが、街がどんどん荒れていく中で、福祉支援が打ち切られます、の場面ね……アーサーが「僕の薬はどうなるんですか!」的なこと言うんじゃ……正確なセリフは忘れたけどニュアンス的には同じだ……

 

わ か る !!!

 

私めっちゃケチでな。まあバンド関係にはどんどん使っちゃうんですけど、それ以外は絞れるところを絞りまくり、家計簿つけまくり、お金をどれだけ慎重に使えるかゲームを日常的に行っていて。やりすぎて「あ、ご飯食べなければいいんだ!」となりかけたくらいです。ダメなやつです。親からは「銭ゲバ」の称号をもらってます。

 

そりゃそうだわ!!

お金がないと薬買えない!薬がないと生活できない!生活できないと働けない!(働けてないけど)働かないとお金がない!(今もない)お金がないと!!!薬買えない!!!

 

「僕の薬はどうなるんですか!」は去年の泣けるセリフ大賞バンドマン以外部門で1位だよ。おめでとう。

うつ病とかの精神疾患って世間に軽く見られがちだけど、内臓疾患と同じだと思います。薬が必要な時に薬がないとガチで冗談抜きで命に関わります。気合じゃどうにもならねえよ!脳がやられてんだよ!!「人の心は脳に宿るのか、魂に宿るのか、はたまた心臓に宿るのか……」的な話は置いておき、脳という人体のなかで超重要なヤツが誤作動起こして大変なことになってるんだから、命に関わりますわ!!

 

熱くなってしまった。

 

薬、高い。精神疾患系の薬、とてつもなく高い。お金必要。愛と勇気じゃ薬は買えない。

 

個人的な好き嫌いの話になるが、ぼかぁ、お金よりも大事なものがある!っていうひと苦手……。命が一番大事、わかる。でもお金がないと命に関わるんですよ……。

 

そういえばジョーカーって「経済格差」を描いた映画って扱いされていたね。

私は今のところ薬が買えるから恵まれていると思う。でも見方を変えれば薬を飲まないと生活ができないというのは不幸だろうな。

 

なんの話ししたっけ。

まあいいや。

 

いろいろ書いたけど、ただの感想なので。

私、大変です!でも、福祉制度もっと充実させろ!の訴えでも何もないです。いや後者、思ってはいるけどこの文章にそういうメッセージ的な目的はないです。

 

充電ないし朝ごはん食べたいしここで一旦終わろう。パラサイトについてもまた書こう。

 

まとめもなにもないよ。ここは掃き溜めだから。

 

つづく!

 

 

2019年のライブ

1月

19 ボヘミアンズ×スタンスパンクス@千葉ルック 

20 ピロウズ@赤坂BLITZ(わたしはこう呼び続けるからな)REBROADCAST アルバムツアー

 

2月

28 ピンボールズ@仙台enn 2nd 時の肋骨アルバムツアー

 

3月

17 ピロウズ@Zepp REBROADCAST アルバムツアーファイナル+「王様になれ」ライブシーン収録

18 ボヘミアンズ@新宿LOFT スリーマン 50回転ズ レディオキャロライン

20 「王様になれ」収録+ピロウズミニライブ@川崎チッタ ピロウズ ホリエアツシストレイテナー)TERU・JIRO(GLAY

22 ピンボールズ@恵比寿LIQUIDROOM 時の肋骨アルバムツアーファイナル

 

4月

21 ボヘミアンズ×50回転ズ@熊谷HEAVEN'S ROCK 

 

5月

11 ボヘミアンズ×50回転ズ@柳ヶ瀬ants

24 ボヘミアンズ@新宿レッドクロス スリーマン hotspring THE TOMBOYS

 

6月

14 ボヘミアンズ×THE FOREVERS @渋谷milky way 

29 50回転ズDJかけ太郎@下北沢THREE ビートりょう出演

 

7月

3 FRSKID @下北沢Daisy Bar

6 永原真夏ツアーファイナル(ワンマン)@渋谷WWW 

12 DELICIOUS BUMP SHOW!!@川崎チッタ デリシャスレーベルの皆さん

13  a flood of circle ツアーファイナル@赤坂BLITZ

 

8月

1 ボヘミアンズ×SA @新宿レッドクロス

13 FRSKID @下北沢LIVE HOLIC

17 ボヘミアンズリナフェス@リナワールド

30 ピロウズアニバーサリー展 バスターズダイナー@渋谷タワレコ

31 ボヘミアンズ夏のワンマン@高円寺HIGH

 

9月

4 myeahnsアルバムリリース 双六騒動@新宿LOFT

13 「王様になれ」@川崎チネチッタ

14 「王様になれ」+山中さわお・オクイシュージ監督・岡山天音くん舞台挨拶@横浜ジャックアンドベティ

20 FRSKID @新宿MARBLE 

25 平田ぱんだ先生出版記念ボヘミアンズカバーナイト@高円寺HIGH

27 FRSKID @下北沢BB

29 ピンボールズワンマン@新宿LOFT

 

10月

6 FRSKID @渋谷LUSH

10 ボヘミアンズインストアライブ+サイン会@渋谷タワレコ

14 永原真夏ミニライブ@代々木上原

     錯乱前戦presents〈音速団〉@下北沢BB ボヘミアンズ myeahns ザ リラクシンズ 錯乱前戦

17 ピロウズ30thアニバーサリー Thank you,my highlight!@横浜アリーナ

20 ギタマガ主催ギター狂室@八王子デジハリ大 ビートりょう出演

26 ボヘミアンズワンマンツアー明るい旅@山形サンディニスタ

27 ザ50回転ズ15thワンマンツアー@渋谷クワトロ

31 FRSKID ハロウィンパーティー@下北沢BB

 

11月

1 myeahns ツアーファイナル(ワンマン)@下北沢シェルター

9 ボヘミアンズワンマンツアー明るい旅@宇都宮HEVEN'S ROCK 2/3

22 FRSKID@下北沢BB 

23 ボヘミアンズワンマンツアー明るい旅@大阪キングコブラ

29 ボヘミアンズワンマンツアー明るい旅@静岡UNBER

 

12月

1 ボヘミアンズワンマンツアー明るい旅@仙台Flying Son

11 FRSKIDリリパ+KyoroちゃんHB @下北沢Daisy Bar

13 ボヘミアンズワンマンツアーファイナル明るい旅@渋谷duo music exchange 

31 COUNTDOWN BUMP SHOW!!@渋谷duo music exchange 

 

 

めっっっっちゃいったな!?

いや行く人はもっと行ってるだろうが……イベント等を合わすと46?ミニライブやイベント系を抜いても38?わからぬ。わたしは自分で数えた数字を信じられないのだ……

 

ふむ……

 

夏からの怒涛の追い上げという感じですね。何があったのか。あれか、遠征行けるわ私〜!って自信ついてんだな?

 

しあわせな年だったなーまだ終わってないけど。

去年はチケット買ったけど行けなかったライブが3本あったから、悔しくて、今年は這ってでも行きたいライブを逃さないって決めたんだった。

いろいろあった年だった。

死にかけの1月から3月!未来なき初春!

月四くらいしか電車になってなかった人間が4月から週6or 7であっちこっち行くようになったもはや溜め込んだパワー発散期ともいえる春〜夏!

秋からはご覧の通り。

去年一昨年ほんと文字通り死にかけてたのに奇跡の復活ですね。もう俺を止められるものはいない。

 

来年の予定ももう結構入っていて、ルンルンです。今後とも節約頑張ります。健康にもしっかり気をつけます。単位も取ります。

 

バイトはするかわからない。イングリッシュティーチャーに初対面から1時間ほどで「22歳なのに親の金で生活してるの?うらやま〜」みたいなこと言われて、「何も知らねーくせにコノヤロウ!」とそのあと片方のコンタクトが落ちるほどボロ泣きしたこともあったけど、バイトはリスクが高すぎる。就職よりも多分バイトのほうがリスキー。それは職種とかではないんだけど話すと長くなるからめんどくせ。「読むことと書くことしかできないんだから」、親の親切な呪言は耳の中に棲みつき、頭を掻き毟った時期もあったけれど、今となれば好きに好奇心を満たすだけでいいならもうそこに横臥しようと思う。

で、

とりあえず言わせろ、イングリッシュティーチャーよ。

「45年間ずいぶんと狭い視界で生活してきたんだね?うらやま〜」

私はある意味では恵まれ、キミはまた違う意味で恵まれてるんだ。隣の芝生は必ず青いし、キミのものさしはキミの世界しか測れない。それは別に悪いことではないけど、良いことでも絶対にないよ。とりあえずその毛根全滅してくれ。

 

ライブは楽しい。

映画も読書も一方的な情報提供でこちらからリアクションをして遊ぶことができないからいささか不満が残ることがある。

ライブは、入ってくるものと同時に、返せるものがある(演者がそれに反応する、ということは前提に一切ない。私からの矢印は常に自己満足だし、それが好きだ)。

ステージと客席の間に会話はなくとも、その現場は対話の場所だと感じる。だから地蔵とかマナーのねえ野郎どもは嫌いなんだよ、去ね〜〜〜〜!!(BGMは稲刈りで進む音)

悪態はさておき。

対話は大好きだ。人と話すのがとにかく好きなのだ。

コミュ障極めて、「人になんて話しかけるの?」「それはなんの目的で?」と会話をする方法や意味が理解できずに、誰とも、挨拶すらなく、1日を終えていた小学生時代からは考えられない。

まあ、人との会話の仕方はここ数年間でめちゃくちゃ勉強したのだが……

 

来年もたくさんいろんな人と話せますように。おしゃべりでも対話でも討論でも言葉での殴り合いでも。

新しい年が楽しみ、と感じるなんていつぶりだろうなぁ。

明日はカウントダウンバンプショウ。

不安がないわけじゃないけれど、めちゃ楽しみだよ。

私の愛するデリシャス。永遠にしあわせでいてくれよな。

 

そしてどうか、エゴイスティックな言葉を漏らすのならば、この私をはじめからおわりまで笑顔で過ごさせてくれ。

 

まだ、見知らぬ誰かの声が脳内にこびりつくのだから。ルサンチマンはきっとコップから溢れる前に、コップを割るのだろう。その破片を受けるのは、私だというのにね。

 

気安くロックンロールを汚すな、なんて。

 

キミの、キミたちの、その舞台から見る光景が、常に美しくありますように。

 

 

 

 

☆秘密基地ロックンロール

ロックンロール=反骨精神ではなくても、ロックンロールと反骨精神は結びついてると、MDのチェッカーズにときめいた小学生の時から思ってたし、イヤフォンによってiPodにつながれた今の頭もそう思ってる。

まあぶっちゃけ反骨精神って結局何かはどうでもよくて、簡単に「You guys、ロックンロールとはなんぞや」ときかれたら一番答えやすいのがそれかなーくらいの思考なので、ここでその四文字はそんな重要じゃない。逆転、とか、下克上とかでもいい気がするし。

要は社会的弱者(便利だからよく使うけどこの言葉あまり好かないね。弱者は『仕立て上げられた』ものだと思ってるから主体チックに使いたくない謎のワガママ)が、一般大衆のツラをしたえらそうな決めつけやろうどもに一発、砲を撃とうとしてくれるのがわたしの中にあるロックンロールで。

砲を実際撃つか、否か。相手を倒せるか、反撃されてバッドエンドか。撃とうとしただけで結局殻に逃げるか、などの結果よりも、撃とうとしてくれる→砲を撃つというアイデアを持つ、という発想というかそこからの過程というか、そういうものにわたしは救われているし、音楽にそれを求める、というのはいささか誤解を生みそうなのだけれど、そういう気概が好きなのだ。

 

で、だ。

 

〈一般大衆のツラをした決めつけやろうども〉っての書いたけれど、素直に言い換えちゃえば、自分はマジョリティであると思い込んで、その範囲から逸脱した「なにか」をマイノリティとみなすひとのことを言いたくて。

話すと長くなるしここは壁打ちみたいなわたしのための思考整理の場所だから、書かないでおこ。壁打ちブログのくせにプロフにリンク貼るなって頭の中の誰かが言ったけれど、貼りたくなっちゃうじゃん……承認欲求とはまた違うんだけど……読んでほしいっていう願望も全くないんだけど……でも自分の文章って可愛いんだよ……書いてる内容や文は可愛くないよ、自分が生み出したものへの愛着を完全に捨てきれなくて、全体公開にしちゃうしリンク貼っちゃうんだよ……絵を描く方々が創作で「うちの子」とか言うのと同じなのか否か判別できないけど自分の脳みそから出た思考ってかわいいものなんだよ……頭とメンタル痛めて産んだ我が子みたいな……そうやって人はどんどん自分の思想に溺れてくんだやーいやーい。

 

なんの話してた?

 

「自分を抑圧する相手をぶっ飛ばしてえ」という気持ちが、心を揺さぶる言葉とメロディになったのがわたしの好きなロックンロールだという話。

それでここからが吐き出したかったこと。嫌だな、前振り長い。

 

自分を抑圧するぶっ飛ばしたいほど嫌いな相手って、誰なんだろうな、っつーはなし。

 

記憶の中のあいつか、世のシステムか、社会の目か、家族からの期待か、大人という概念か、この世界全部か、環境問題人権問題時事問題そのほか諸々人類の未来繁栄を阻むあんなこんなか(SDGs的な?)。

それぞれなんじゃないかなー当たり前だけど

ツイッターで発散しようとしなかったのは以下のことを書きたかったから。これを書くことで誰かを傷つけたくなかったから。ツイッターってミュート・ブロック機能はあれど、フォローしちゃえば視界に嫌な情報を入れるか入れないかの選択ができないツールだと思っている。だからわたしはライブレポ未満のライブの感想を書くとしても、そこにはわたしの淀んだアイデンティティの話とかがどうしても絡んでしまうから、そういうの嫌な人もいるし、興味ない人間のナラティブに寒気を覚える人もいるし、フォロワーさんだからってわたしの文章を見ること押し付けられないこともあるし、ブログを開設したのですね。リンク踏まなきゃ、飛ばないからね。あえて魅力のない、ゴミタイトルつけたし。読む読まないの選択権を提供、と言ったら烏滸がましいけれど、選択権を、すみませんがいいですかね?と置いておきたかったから、このブログを作ったのだった。

また話飛んだ。やだやだ。

 

SDGs的なグローバルかつ人類の未来に影響する問題も大切だと思うし、そういう問題に対して取り組む学生団体の人にあったこともある。すげえと思った。だってスケールでかい。自分が死んだ後の地球も人類もわたし考えたことないもん。自分が今生き延びるだけで必死なんじゃい。

 

ロックンロールで(もちろん他のジャンルでもあるが)、そういうSDGs的な人類共通の課題に対してパフォーマンスや歌詞、スタイルなどで、まわりへのアプローチをするバンドっているじゃないですか。

目線を変えると、そうだな、今の政治はどうなってんだ!みたいな訴えを歌う、というスタイルのひと、いるよねという話。

別にこれはそういうバンドや、そういう音楽が好きなひとたちへの批判でもなんでもない。先に言っておくぞ。

わたしのお気にの先生は、そういうロックンロールが好きなのかな? というところから、考えが始まった。

 

わたし、そういう音楽ひびかねえな、って。

 

好き嫌いの問題じゃなくて、そういうメッセージもあるのか。そうか。わたしは違うな。ってふと思っただけ。

それはわたしがまだ社会問題に対して興味を持っていないからかもしれない。今後好みが変わるかもしれない。それはわかってるが。

でもわたしには響かねえなって、思ったんだ。

それはわたしがネガティブ野郎だからなのか、厭世家くさいところがあるからなのか……

本心としては理由なんてなんでもいいわー、と感じているのだが、それでも面倒な性格をしているので、そうと割り切れずに、なんでだ?とこんな夜中に考えてみた。AM3:30、早く寝たい。

 

わたしがぶっ飛ばしたい相手って、気にくわない奴らとか、不甲斐ない自分とか、その程度……いや、その程度と言えるほど優しい敵ではないので、違う言い方しよ。

 

わたしがぶっ飛ばしたい相手は、わたしの視界(または脳内)にしかいないのだ、そんなことに気づいた。

 

いまだ記憶にこびりつくあいつら

悪気はなくとも綺麗な目で地雷を思いっくそ踏んでくる大学の人

そんなに理由ないけど嫌いだなと思う見知らぬ他人

炎上している誰かの発言

それに囚われてる自分

底辺というか、もはや地面を突き抜けて地球の核部分を突き抜けて反対側のブラジルに到達しそうなほど低すぎる自己肯定感を持つ自分

その他諸々自分

 

わたしの敵は視界(脳内)の中にしかいないのだ。だから、人類の未来を邪魔する「課題」をぶっ飛ばそう!という意志に共鳴かできない。両眼と脳みその中だけで必死なんだもん、マジ。だから世界のためにとか社会のためにとかまったくそこまで視野が届かんのね。

 

それがいけないこととは思わない。

うざいほど書いてる気がするけどほんとわたし「人それぞれ主義」なので……わたしがそれでいいと思えばわたしの中でそれは正解なので……加えれば、世界共通課題に目を向けてる人は人として素晴らしい!と言ってるわけじゃないの……

 

わたしが好きなロックンロールって、小さな世界で自分のために戦うロックンロールなんだなって、これらの流れで思った。

 

小さな世界というのはライブ会場の規模とかではなく。

無駄にイラつく日常

殴りたいくらい腹立つ誰か

自分を愛せない自分

それをどうにか解決、いや、除去してえ! コノヤロウ!って蹴り飛ばして発散してえ! そんな気持ちって、日常的で、誰にでもあって、まあだからと言って他人と共有できるかというとそんなこともなくて、世界的な問題に比べたら小さな世界だよねと言いたいのだ。

その人その人にとってはすげえ邪魔な問題で生きづらさご提供問題なんだけど、マクロで見たらちっぽけな悩みや怒り。

それをぶっ飛ばそうとしてくれるロックンロールが大好きだ。

 

知るか! バーカ! コノヤロウ! 

そんな、悲しさと怒りとやりきれなさがミックスされて積もり積もって、心の中でどす黒い層になってしまった「敵」を、わたしは好きなロックンロールを耳に入れることでぶっ飛ばしてやる!という意気を脳内に投入して、嫌なことを爆破させている(実際目の前の問題が解決するかと言われたらそれはまた別なので、正確には「爆破させたた気になっている」)

 

そうやって歩きにくいぬかるんだ道をどうにか進むのだ、進むしかないのだ。

 

そんな小さな世界のことで日々がいっぱいいっぱいなので、世界になんて目を向けらんねえし、だから、向けられる人たちに丸投げしようと思う。

 

小さな世界で戦うためのロックンロールは、もしかしたら世間に届かないかもしれない。

でも価値がないわけじゃない。それは絶対。

 

頑張れ日本!的な曲あっても、わたし、「日本を応援するほど元気ないです自分のこと応援するだけで死にかけてます!!」としか思えないもん。

 

わたしを助けてくれるのは、怖がりな臆病者で、でも謎に時折傲慢で、だけどいろんなモノを恨んで嫌って、そんな自分を信じられなくて否定しまくって、「まとも」に包囲された泥の中であがきまくる人たちだ。

彼らは自分の歌詞を読んで誰かを救おう!って、多少なりともあるとはしても、9割がたは思ってない気がする。知らんけど。

だけど、わたしは彼らに救われる。ひねくれ者の彼らは手を差し出してつないでなんかくれないし、わたしだってヘソが曲がりすぎて一周して正面にきた人間なので、もし伸ばされたとしてもその手にしがみつくことはしないし、できない。

でも、引っ張り上げてくれる手がなくても、彼らが世に出してくれた音楽が、彼らの存在自体が、わたしの救いである。

わたしが勝手に救われただけなんだけどな。

 

この記事の結論なんてありません。

掃き溜めだーここは。

 

秘密基地が昔から好きだ。

友達と入った押入れの中とか、河原に重ねた段ボールの中とか。

小さな、だけど外界と自分を確かに隔てるその空間が、好きだ。

それが好きな自分でよかった。

小さな世界を爆音で轟かすロックンロールも、薄暗いライブハウスの中も、共通の好きなもので盛り上がれるともだちも、わたしにとっては秘密基地だ。

イヤフォンを外せば、他人の声が耳を障る。

扉の外に出れば、コンクリ道路の硬さを感じる。

バイバイと手をふれば、孤独に苦笑いをこぼす。

秘密基地から出た後は、またぬかるみのなかを進まないといけないけれど。

秘密基地があるかないかでは、HPのタンクの減りが違うでしょ?

 

そう思っただけ。他意はなし。

時間は4:23。早く寝ろ。