閲覧自己責任

閲覧は自己責任で。底辺サバイバーの笑うしかない独りナラティブセラピー。☆マークのついている記事は特に読むのに注意してね。

☆アルティメット無力

強そうなタイトルつけた。

 

新学期の授業開始日が延期になった。そう、怖いのか怖くないのかよくわからない某ウイルスの影響である。

危惧はしていた。だけど実際大学から通知が来たらめちゃ虚しくて悲しくて涙が出た。

それは学校が恋しいとはまた異なっていて。前提としてわたしは授業とか学校とかが嫌いである。好きだったら10年も不登校やってなかった。

大嫌いと言っても過言ではない。

テキストを早く進めてると怒られて、平均的な能力を求められて、できないと恥さらしにされるところだ、好きなわけない。

だが今回の授業開始日の延期はなんて表していいかわからないほどしんどい。

自分の存在価値を思いっきりハンマーで殴られてさらに地面に沈まされた気分。

世の中から不要だと囁かれた気分。

まじで無理〜〜!

 

なぜそこまで悲観してるのかというと、自分の無力さに腹が立ってるからである。

世界的に混乱に陥ってるなかで、わたしはいま春休みで無職で毎日ダラダラしている。

正義感に駆られてるわけではない。ただ、周囲がこんな大変な時でも働いているのに、なんか、とても、自分が情けない。

働きたい。働いて金をもらって、そうしてバンドにお金を落としたい。

だけどそれができない。いろいろ考えるけれど何も解決策は見当たらなくて。落ち込めば落ち込むほど、親に洗脳のように言われてきた「読み書きはできるんだから」という言葉が頭の中で繰り返される。

ここで使われる「読み書き」というのは識字や書字という意味ではない。読解と論述とでもいうか。文章を読んで理解すること、情報を文章として並べること。そのふたつはできるのだからと何度も言われてきた。言った父はその言葉がわたしの救いになると思っているのだろう。しかし残念なことにわたしはその言葉をこう捉えてしまう。「読み書きはできるんだから。他はできないけれど」

言い返したくてもできない。それは父は反抗できないということでもなく、また、口論が不得手だからでもない。むしろ舌戦、プレゼン、プロモートなどは得意、というか、できてしまうほうで、頭より先に口がすらすらと言葉を吐き出し、話した相手が納得した顔で頷いてるのを見て、改めて頭が自分の言葉を認識するくらい、口がよく回る。これは長所なのだろうが、わたしからしたら気味が悪いことでもあった。

で、ならばなぜ言い返せないのか。理由は1つ、事実だからだ。

わたしの体はポンコツなのだ。不健康というかなんというか。暖房と間違って冷房ガンガンかけて冬の東北で就寝し、風邪をひいたことはあるが(お茶目☆)、ここ数年それ以外でそのような風邪症状やインフルエンザにかかったことはない。血液検査の結果も常に良好、歩くの大好き、ライブで2時間踊り狂っても走れる、など、健康といえば健康なのだが、それでもポンコツに変わりはなく、社会で働ける体は持ってない。

ただの気分屋ならばそれに越したことはないのだが、そうもいかない実績(?)が確かにあるので、わがままと言えないのが、逆に辛い。わがままだったら自分の気合いでなんとかなるからね。

自分の意思じゃ律することのできないなにかが体に作用するので、迷惑極まりない。

うつ病の後遺症なのかわからないけどとにかく脳にバグがあるので見事なポンコツボディで生きている。

それでもやはり神様は慈愛を持っているのか、何かしらの能力は与えてくれたらしい。

それが「読み書き」だった。

簡単に言えば「人より勉強ができる」。

めっちゃできる!天才!ではない。だけど平均よりはずっとできるのは確かで、高校受験までは特に努力しなくても定期テストでは高得点を取っていた。授業に出てないのに1位をとっていたりしたので、クラスのカースト上位女子にはいろいろ面倒な絡み方をされたものだった。あのプライドの高いゴリラは元気だろうか、究極にどうでもいいけど。

高校生時代も、理数系はあまりにも不出来すぎて捨てたのでなんとも言えないが(単純計算で失敗する、そもそも数字に弱い、図形がわからない、グラフのマス目がよくわからないなど致命的に苦手)、現代文、古典、日本史、英語は全部独学だった。疑問が生じても参考書を読めば全部解決した。まあこう言っておきながら第一志望校に落ちたので、ここは会場大爆笑とでも言っておくか。

いろいろ俺頭いいぜウェイみたいなことを書いたが、別に自慢したいわけじゃない。むしろ逆で、書いてて、ごめんなさい、ごめんなさいと泣きそうになっている。

それしかできない人間でごめんなさい。

それしかできないので、自然と「勉強」はわたしのすがりどころであった。

ずっと、勉強することだけが、知識をつけることだけが、わたしがこの世で生きていていい理由な気がしていた。

だって他のことできないからな。

中学生の時も、高校生のときも、受験が心の拠り所だった。結果が数字で出るから、良い点を取れば、それが存在許可に思えた。

大学は簡単に数字が出ない。今まで点数に力をもらっていたわたしは一気に溺れることとなった。

だけど新学期からゼミが始まることとなっていて。そこは課題が多いところで。働けることもなく毎日をぼーっとしながら生活する春休みの心の支えは、課題が与えられる日が近くに訪れるということだった。

レポートが好きというのはなかなか理解されないものかもしれない。もちろん嫌い、というか興味が持てないものに対して意欲はわかないので人並みにめんどくせーとは思うが、それでも与えられたテーマについてあれこれ思考を飛ばしていくのは大好きで、小学校の図工の時間のようにわくわくするものだ。

何より課題を出したら読んでもらえる!ヘタクソと低い点が返ってきたって別にいいのだ。考えて、考えて、書いたものを読まれて評価されるのは嬉しくて仕方ない。(だから事前課題を出してくれない現状に拗ねている)

なのに

延期になったーゆるさねえ〜わたしの楽しみ〜ウイルスのばーかばーか!!!

いつになったらわたしはまた、「勉強している立場」に戻れるのだろう。春休み、自分が世の中のどこにもいないようでとても心細い。

まあここにそんなこと書いたって、ウイルスは気持ちを噛んだはくれないのだけど……

 

 

 

追伸 

ツイッターアカウントのプロフィール欄にリンクを貼ってしまっている以上、仲良くしてくださってるフォロワさんがたがこのブログを読んでいる可能性があるんだなって気がついた(遅い)

いつもありがとう、そしてこんな文章を閲覧させてしまって申し訳ない。

もし読んだ上で、それでもわたしとふつーに仲良くしてくれて、お喋りを楽しんでくれているのなら、この上なく感謝です。そして恩人なのです。

リンクを貼っておきながらこれを言うのは滑稽ですが、これからも、こんなブログが存在していないように接してください。

やさしいあなたにたくさんの幸せが訪れますように。