☆映画について②
脇腹が痛いよぅママァ‼︎
常に体のどこかしら痛い。もはやわたしはこの痛みと共生していくしかないのか?わたしの人生の伴侶は神経痛か????
お医者さんで出された痛み止め?がウサギの力を借りて(ソフト表現)作られてるらしくてほんとやだ。マジごめんぴょん吉(仮)🐰。
加えて、なぜそれが効くのかわかっていない、みたいな文も見つけて。
医者から出される薬、意外と「なんで効くかはわかってないんですけど……」ってのあるよね!!
過眠症のとき出された薬もそのタイプで、「なんか効くらしいんですよね〜……試してみましょう!」って感じだった!不安症の患者の不安、煽らないで!
ちなみに『医者から言われた衝撃の一言』第一位は「えっと、なんの病気だと思います……?」だよ。ここまでキレイに匙が放物線を描いて投げられたひとそんないないと思うよ。
ということはまあいいや。前回何書いたか忘れてたからパララ〜って読み返したら「アーサーすごいんご!」って書いてあった。
あとチラッとアクセス数見たらこのブログ読んでるひとちらほらいるらしいんだけど、今のところ何も文句きてないから続けていいよね。いいと思う!
「パラサイト」観たんだよ、という話。
1月23日木曜日だった。ちょうどテスト期間中。テスト終わって超急いでやーしぶの映画館向かって券売機に行ったら、残り10席くらいしか残ってないほどの人気ぶりで驚いた。こないだ、うん?いつだ?2月の19日に「1917」観に行ったのだが、その時もその日の上映がほぼ満席状態だった。にんきなんだねー(感想力皆無)
映画のことはほんと詳しくないし、幼い頃は母の影響で洋画名作をたくさん観ていたのだが、鬱になってからは集中力の持続能力をなくしていたので、何年も映画離れをしていた。これはドラマにも言えるのだが。
何が言いたいかというと、わたしが映画を観るというのが楽しいと気づいたのはここ2年くらいで、ほんっっとに「映画」という文化の、真髄とか流行とかまったくわかりませんよ、ということをここに書いておく。
そんなわたしでも思っだことがある。パラサイト、これは映画館で観るべき映画だなぁ、と。
いや、どんな映画も映画館で観るべきなのだろうが、なんというか。「映画」というものの持つ表現のあんなこんなを最大限に利用した映画だなと思ったのです。
音、音楽、スクリーンで観るために作られた映像、あと、家で少人数で観るんじゃなくて、映画館という300人くらいが一気に観る環境で「観る」ということ、そういう「映画ならでは」が持つ力を勿体ぶらずに使い切った映画だなぁ〜って。
家のテレビで、CMを挟みつつ、またはいつでも一時停止できる環境下で観賞したら、おそらく面白さが一気に下がる、というか、面白さの角度がまったく変わってしまうのではないだろうか。
だめだ、眠い。また後で書く
何日か経った!!何日か!!経っていた!!でも続き書いちゃえ。
そう、うん、パラサイトの話。今更ですがネタバレありです、って読んでる人いるのかなこれ。
韓国での経済格差や受験戦争、それらから外れてしまった劣等感からうまれるむごい事件等は大学の授業でよく取り上げられていたので、改めて、映画というのはある程度背景の知識があると、ない場合よりプラスで理解が深まる、というか話に入りやすくなるんだなぁと思った。
見てから1ヶ月以上だったのだけれど。この間ジョーカーのこと書いて、ふと気がついたのが、ひとつ。
ああ、パラサイトの、半地下家族ってみんな、働こうと思えば働ける人たちなんだよな。
「健常者」という言葉が苦手でして。というものも、倫理学の時間に障害者差別を扱っていたんだが、学生がこうコメントするのよ。「もし障害者が身近にいたら、助けようと思いました」そんなコメントを、いくつも先生が読み上げててさ。
は? となったのですね。そして学期末の自由レポートでひたすら「自分を『健常者』と思っている、または障害者がまわりにいないと思っている、彼らのそのマジョリティへの無意識の帰属意識ってなんなん?」について書いたんだが、まあそれら置いておき。
(魔除けを1つ置いておくと、わたしが『障害』をこの漢字で表記するのはちゃんと自分なりの答えを持っているからなので、突っ込む必要はないですハイ。)
でもここではほんと吐き気するけど仕方なく『健常者』という言葉を使う。それは別になにか心身が抱える何かしらの性質によって生活や仕事に困難を抱えている人々との区別をしたいからではない。ドラマなどのメディアで多く描かれる、生活するうえで、または仕事をするうえで「困難のない」「普通とされる」「多くの人々」の「イメージ」としてこの言葉を用いようと思う。嫌だけどね。
半地下家族の4人。父、母、兄、妹。4人とも映画を観ていた限りではピザの箱折の内職以外、仕事を持っていないように思えた。
じゃあ彼らは「仕事を持つことに困難を抱える人々」なのか、と言ったら、きっとそんなことはない。
実際、富裕層家庭に進出(?)し職を得て、その役割を難なくこなしている。家庭教師、美術教師、運転手、家政婦。そして映画内で雇用主から「仕事ができていない」と言われている場面も確かなかった。
そうなのだ。彼らは「働けば働くことができる人々」なのだ。
なのに、貧困家庭であった。半地下の住人であった。
反対に、だ。富裕層家庭の4人は、どんな人物だっただろうか。対人において線引きを重視する社長の父。やや潔癖な感じが見られたが、社長やってるくらいだから働ける人なんだなーって思う。次、母、というか奥様。家政婦なしでは何もできない生活能力の低さ、そして全てを無垢に吸い込んでしまう純粋さ。きっとこの奥さんは働くことができない。というか、そもそも、「自分が働く」という概念が頭の中にないのだと思う。「自分が働くなんてありえない」という考えではない。まるまるすっぽり、労働と自分が結びついてない人だ。そして姉弟。まだ幼いからはっきりとはわからないが、将来的にこの2人は「働ける人」になれない気がする。愛に飢えた姉(めっちゃあの子かわいいね)、定型発達ではなさそうな弟……
もちろん年齢や能力が発揮できる分野が異なるので良い比較とは言えないが、比べてみると、社会において「働けば働くことができる」人間が多いのは半地下家族のほうなのである。
富裕層家庭の面々に障害があると言いたいわけではない、これを大前提とする。それでもって、これを言う。
半地下家族は、全員『健常者』でありながら、貧困家庭である。
これに気づいた時、ゾッとしたのよな。
ジョーカーの時にも同じようなこと書いた気がする……? のだけど、えっとな。
心身に、生活に困難を及ぼす何かしらの性質があると、職の選択肢が限られて、しかもマジョリティに比べると安定した収入を得られる確率が低いのである……。
友達と就職の話になった時。彼女は言った。「できるかできないかより、好きな仕事につくべき」と。
わたしは逆で。「好き!と完全に言えなくても、できる仕事につくべき」という考えを持っている。もちろんどちらが正しいとかはない。これに関しては人それぞれでいいと思う。だけどな、いろいろ困難抱えてるとな。能力に限界があるとな。職が選べないんだ。
いきなりわたしのナラティブになるが、私は感覚過敏持ちである。薬でなんとかしてるため恒常的ではないが、聴覚、視覚、味覚(嗅覚)の過敏がひどい時は外出ができない。うるさくて、まぶしくて、くさい。体調が悪いとその症状は一気にわたしにアタックをかけて日常をぶっ壊してくる。
高い音、それも多数の音が重なってる場所が苦手なのでスーパーに行く時、1人で電車に乗る時はイヤフォンとiPodが欠かせない。
季節や天候に関わらず、今日眩しくない?と思った日は多少、いやかなりガラが悪くなるが、サングラスなしでは過ごせない。平衡感覚に狂いが出るので階段を下りるのがめちゃくちゃヘタクソになる。同じ柄が並ぶ段差のわかりづらい階段は絶滅してほしい……。
味覚が過敏な時は何食べても味が濃くて、塩の塊や砂糖の塊を食べてる気しかしない。これはある意味鈍麻なのか? わからんな。ちなみに嗅覚の場合は、いつもは気にならないにおいが頭の中に刺さって吐きそうになる。
こんな人間が、これらの性質のない人々と同じ職業の選択肢を持つだろうか?
持たないよ〜〜〜!!!
ちなみに居酒屋やライブハウスってどうなんって思われるんだろうが、これは経験で回避テクニックを習得したので基本的に無傷である。まあ仲のいい方々といることでメンタルが落ち着けるからでもあるが、というかほぼそれだが。
で!!!!!!
何が言いたいか。パラサイトの半地下家族は、おそらく、働く力が「ふつー」にあって、職の選択肢も「ふつー」にある、はずなのだ。なのにピザの箱折をしている。就活している様子もない。
彼らが怠惰だからである!とは一切言わない。怠惰だったらあんなに作戦立てて富裕層家庭の職のっとりを行わないと思う。
だから、ゾッとしたのだ。
彼らを「貧困家庭」に仕立ててるのって彼ら自身ではないんだなと。
そういう社会がそこにあるからなんだろうなと。
わたし詳しくないよ?授業でかじった程度だしほんと無知無知の実の能力者だよ?だから予想だよ?
ない頭を絞って出した考えがこちら。
「個人の能力に関わらず貧困が(あるいは富裕層が)連鎖する社会が『そこ』にあることを、映画は描きたかったのではないか」
眠くなったから続きは③で書く。いつ書くかは、知らんけどな。
繰り返し書くけれど、わたしが書くときに使う言葉は、その言葉をここに出すことでどんな色が並ぶかしっかり考えた末に置かれたものなので、誰かを傷つけるつもりは全くない。
わたしがそれを使うことでわたしが傷ついても、誰かに対して刃先は絶対向けたりしないから。
な!