閲覧自己責任

閲覧は自己責任で。底辺サバイバーの笑うしかない独りナラティブセラピー。☆マークのついている記事は特に読むのに注意してね。

前日

明日でもし、ピロウズというひとつのバンドの物語が終わるとしても、わたしはきっと絶望することはないだろう。

30年の長さを知らないクソガキの戯言だと、この文章を読まないのも自由だ。ただわたしはネットの海の中に10/16の感情を流しておこうと思っただけだ。送るのではない、流すのだ。瓶に詰めて波に渡す手紙のように。途中で沈むなら沈めばいい。浸水して紙がボロ切れになったって、かまいやしない。流すだけ、流す以上のことはこの行為には求めないし、求めることはできないのだ。

 


10代は、地獄だった。人に言えないような経験に汚い言葉たち。わたしはもう笑い飛ばせるけれど、聞いた人たちが笑い飛ばせるかと問われると、自信がない。それほどの、笑うしかない、笑えない話。

 


20歳になる前に死んでもいい、いや、逆だ。20歳を越えるまで生きるという意思は全くなかった。きっと、何かの拍子にわたしは死ぬのだろうと、その微々たる予感を悲しむことも嘆くこともなく、生きていた。

 


2014年の12月5日。YouTubeで出会ったのはピロウズの曲。某若いバンドのトリビュートで扱われた曲の歌詞がなんだか気になって、それで、今も活動しているバンドなのかも知らないまま検索して、なんとなく流したアバウトアロックンロール。

 


ボーカルのおっさんの顔が可愛いというのが第一印象。そして、そのあとに飲み込んだのは、2番の歌詞。「愛がないぜイス取りゲームキミとサボって床に座った」「夜を待って数えたんだ流れ星と流れない星を」そのままその意味を理解できるようなストレートでない歌詞なのに、その歌詞を知った瞬間思った、「わかる」

意味の理解でも感情の共鳴でもない、単純に、「わかる」と、その歌詞は腹の底に落ちていったのだった。

 


それがピロウズとの出会いだった。

 


ピロウズを聴かないと怖くて眠れない夜なんて、馬鹿みたいにあった。止まらない涙を頬で感じながら、このイヤフォンのコードが、起きたら首に絡まっていて……なんてことを、考えて笑った。

 

 

 

 


人を嫌ってはいけないと思って生きていた。

嫌ってもいいことを知った。

人に嫌われてはいけないと思って生きていた。

嫌われてもいいことを知った。

怒ることも、悲しむことも、当たり前に持っていい感情だと、知った。

地獄みたいな、なんて言葉すら軽い地獄の10代は、ピロウズに出会うためにあったのだ……なんて思いそうになるけれど、「だから傷ついたって平気だって」

 


そんな訳ないだろ

 

 

 

できるならば平凡で、ありふれていて、まともなことで悩んで悔やんで乗り越える、着古した制服で卒業式に泣く、素敵な青春を送りたかったさ。

まあ、だからいま、22の今、年齢の異なるたくさんの友達と、青春を謳歌しているのだけれど。それはまた、ここでは割愛する誇らしい話の1つ。

 

 

 

 


ピロウズが幕を閉じるのなら、それでいいと思う。

別に同じくらい好きなバンドが他にもあるからだとか、興味を失ったからだとか、どうでもいいからだとかでは、決してない。

悲しみ嘆く他のファンに対して、同じ気持ちを強制する気も、笑う気も、励ます気もない。個々の感情は個々のものであることが美しいことなんて、とっくに知っている。

だからここに書くのはわたしの感情だけだ。影響されろなんて一ミクロンも思ってない。つーか、この文章を読む人がいることも想定してないくらいだ。言ったろ、流すだけだと。

 

 

 

 


終わらせることと、終わらせられることと、終わることは、全部違うから。

 


ピロウズという物語を、終わらせるのならば、それが彼らの手に取った選択肢ならば。

わたしは拍手をしながら、その幕が閉じたのを確認して、背を向けて、家に帰り、日常に身を戻すだけだ。

わたしは、そうするのだ。

もちろん泣くだろうね。それは仕方ない。思い出の夜はそういうものさ。

 


10/16、そんなことを思った。

明日思うことなんて、知らねえ。だってこの気持ちは今日のものだから。

 


明日は来るよ、今わたしが窓を開けて、この一室から飛び降りようと、何をしようと。

明後日も来る。その後も来る。時間は流れる。誰が生きようと、誰が死のうと。何が続こうと、何が終わろうと。

 


諦念に見えるかな、ならばそれは素敵だね。わたしは、諦念の先にだって幸せはあることを、ピロウズから知ったのだから。

 


30周年、おめでとう。

その時間の長さを身を以て知って、明日を迎えたかった。

だけどどうにもならないことだからね。

諦めた。

 


いつの間にか、10代は終わっていた。地獄の記憶は消えないけれど。

 


今日の日までわたしを生かしやがって!

憎いよ、ピロウズが。

 


笑いながらそう言ってやる。

 


とある夜、プリーズミスターロストマンが、山中さわおが、30にもなっていない時点で書かれた曲と気づいた。

30年も生きてないのに、人間は、社会は、山中さわおにこんな歌詞を書かせたのかと、これから自分が生きていく世の中に恐怖し震えた。

 


後数年後、わたしもその歳になる日が来る。

そのとき、何を思うか。

楽しみじゃないか。

 


バンドは生き物だから。終わるよ、いつか。

でもロックンロールは死なないだろう。

死ぬような音楽を、彼らは残していないのだから。

 

 

★追記

あ、ダメだわ。サンキューマイトワイライトツアーの再現ツアーやってもらってRitalin202を生で聴くまで私が死ねないので(その後も生きるけど??)なんとしてもピロウズ終わらないで前述と言ってること違うけどこれだけは何があっても譲れない、対バン時リタリンをリクエスト?した某淵くんへの恨みが晴れないからほんとお願いしますわたしにリタリンを聴かせてくださいじゃないと何も悪くない某淵くんがわたしに恨まれたままだよかわいそうだよゥゥゥゥゥゥ!!!