ボヘミアンズのライブでボロ泣きする予定なんてなかった
大阪の翌日から3日間、反動で寝込んだ。いつものことなので別に大ごとはないけれど、期間の最中はアホクソ辛い。でもそれは大阪を全力で楽しんだ証でもある。楽しんだからぶっ倒れた、それだけ。
まあそれはそれとして。
大嫌いな身体も大嫌いな脳も大嫌いな声。もはやそれを好きになるには遺伝子情報から生まれ変わらないといけないので、「好きになる」、克服することについては諦めている。
わかってても嫌いだ惨めだ情けない使えないとおもってしまうし、そんな自分が大嫌いだ。
だけど今日、そんな3日間を経て静岡。
大好きなこのバンドのライブ会場のなかにいるためならば、歓声を上げるためならば、拍手を送るためならば、彼らを見るためならば、大嫌いな身体も大嫌いな脳も大嫌いな声も、この世界に放置しておいていいとおもった。
死ぬなよだか死なないでねだか忘れたけど、あのベーシストは、謀られたようなタイミングでそんなMCをした。
迷惑な話である。
彼らに出会ってしまって、幸せなんて言葉じゃ物足りないくらい、生きてるの楽しい。
残念ながらこれからも地獄からは抜けられない。
中学生だか、そのくらいのとき、医者に言った。死にたいといつも思うと。そいつは言った。死にたいって気持ちは生まれ変わりたいってことだと。ふざけんなスピリチュアルかバカヤロウ。確かに細胞レベルから生まれ変わったら楽になりますな。
使うのがこれしかないからと言い訳を置きながら「幸せ」の単語をここに書きたい。
好きな音楽の前にいる自分は、その時の自分だけは、大好きだよ。
幸せだよ。
わたしの中の「幸せ」は、「生きてきてよかった」じゃない。「あの時死ななくてよかった」だ。
無い背もたれを頼って重心を移動すればすぐにそのまま後ろに落ちて頭打って身体が割れて消えられる人間に、命綱ができちゃったんだ。
あの時死ななくてよかった。
そして、これからも死んでたまるかよ。
ボヘミアンズに出会えてよかった。他にも出会えてよかったバンド、勝手にわたしが救われたバンドはたくさんいるけど、大学の中で周囲との違いに自尊心とアイデンティティがボロボロとこぼれ剥がれ落ちていく時間の中に、ボヘミアンズという存在が隣にいてよかった。
なあ生きてるよ。わたし生きてるよ、生きて、ライブハウスの人混みの中にいるよ。
死なんくてよかったって、これからもしつこいくらいに思わせてくれ。いや、こちらが勝手に思わせてもらおう。
助けてくれてありがとう。だけどわたしのことは知らないでいてよな。
そもそも地獄だこの世の中。
もしも地獄で踊るならロックンロールで、こうやるんだ