閲覧自己責任

閲覧は自己責任で。底辺サバイバーの笑うしかない独りナラティブセラピー。☆マークのついている記事は特に読むのに注意してね。

☆秘密基地ロックンロール

ロックンロール=反骨精神ではなくても、ロックンロールと反骨精神は結びついてると、MDのチェッカーズにときめいた小学生の時から思ってたし、イヤフォンによってiPodにつながれた今の頭もそう思ってる。

まあぶっちゃけ反骨精神って結局何かはどうでもよくて、簡単に「You guys、ロックンロールとはなんぞや」ときかれたら一番答えやすいのがそれかなーくらいの思考なので、ここでその四文字はそんな重要じゃない。逆転、とか、下克上とかでもいい気がするし。

要は社会的弱者(便利だからよく使うけどこの言葉あまり好かないね。弱者は『仕立て上げられた』ものだと思ってるから主体チックに使いたくない謎のワガママ)が、一般大衆のツラをしたえらそうな決めつけやろうどもに一発、砲を撃とうとしてくれるのがわたしの中にあるロックンロールで。

砲を実際撃つか、否か。相手を倒せるか、反撃されてバッドエンドか。撃とうとしただけで結局殻に逃げるか、などの結果よりも、撃とうとしてくれる→砲を撃つというアイデアを持つ、という発想というかそこからの過程というか、そういうものにわたしは救われているし、音楽にそれを求める、というのはいささか誤解を生みそうなのだけれど、そういう気概が好きなのだ。

 

で、だ。

 

〈一般大衆のツラをした決めつけやろうども〉っての書いたけれど、素直に言い換えちゃえば、自分はマジョリティであると思い込んで、その範囲から逸脱した「なにか」をマイノリティとみなすひとのことを言いたくて。

話すと長くなるしここは壁打ちみたいなわたしのための思考整理の場所だから、書かないでおこ。壁打ちブログのくせにプロフにリンク貼るなって頭の中の誰かが言ったけれど、貼りたくなっちゃうじゃん……承認欲求とはまた違うんだけど……読んでほしいっていう願望も全くないんだけど……でも自分の文章って可愛いんだよ……書いてる内容や文は可愛くないよ、自分が生み出したものへの愛着を完全に捨てきれなくて、全体公開にしちゃうしリンク貼っちゃうんだよ……絵を描く方々が創作で「うちの子」とか言うのと同じなのか否か判別できないけど自分の脳みそから出た思考ってかわいいものなんだよ……頭とメンタル痛めて産んだ我が子みたいな……そうやって人はどんどん自分の思想に溺れてくんだやーいやーい。

 

なんの話してた?

 

「自分を抑圧する相手をぶっ飛ばしてえ」という気持ちが、心を揺さぶる言葉とメロディになったのがわたしの好きなロックンロールだという話。

それでここからが吐き出したかったこと。嫌だな、前振り長い。

 

自分を抑圧するぶっ飛ばしたいほど嫌いな相手って、誰なんだろうな、っつーはなし。

 

記憶の中のあいつか、世のシステムか、社会の目か、家族からの期待か、大人という概念か、この世界全部か、環境問題人権問題時事問題そのほか諸々人類の未来繁栄を阻むあんなこんなか(SDGs的な?)。

それぞれなんじゃないかなー当たり前だけど

ツイッターで発散しようとしなかったのは以下のことを書きたかったから。これを書くことで誰かを傷つけたくなかったから。ツイッターってミュート・ブロック機能はあれど、フォローしちゃえば視界に嫌な情報を入れるか入れないかの選択ができないツールだと思っている。だからわたしはライブレポ未満のライブの感想を書くとしても、そこにはわたしの淀んだアイデンティティの話とかがどうしても絡んでしまうから、そういうの嫌な人もいるし、興味ない人間のナラティブに寒気を覚える人もいるし、フォロワーさんだからってわたしの文章を見ること押し付けられないこともあるし、ブログを開設したのですね。リンク踏まなきゃ、飛ばないからね。あえて魅力のない、ゴミタイトルつけたし。読む読まないの選択権を提供、と言ったら烏滸がましいけれど、選択権を、すみませんがいいですかね?と置いておきたかったから、このブログを作ったのだった。

また話飛んだ。やだやだ。

 

SDGs的なグローバルかつ人類の未来に影響する問題も大切だと思うし、そういう問題に対して取り組む学生団体の人にあったこともある。すげえと思った。だってスケールでかい。自分が死んだ後の地球も人類もわたし考えたことないもん。自分が今生き延びるだけで必死なんじゃい。

 

ロックンロールで(もちろん他のジャンルでもあるが)、そういうSDGs的な人類共通の課題に対してパフォーマンスや歌詞、スタイルなどで、まわりへのアプローチをするバンドっているじゃないですか。

目線を変えると、そうだな、今の政治はどうなってんだ!みたいな訴えを歌う、というスタイルのひと、いるよねという話。

別にこれはそういうバンドや、そういう音楽が好きなひとたちへの批判でもなんでもない。先に言っておくぞ。

わたしのお気にの先生は、そういうロックンロールが好きなのかな? というところから、考えが始まった。

 

わたし、そういう音楽ひびかねえな、って。

 

好き嫌いの問題じゃなくて、そういうメッセージもあるのか。そうか。わたしは違うな。ってふと思っただけ。

それはわたしがまだ社会問題に対して興味を持っていないからかもしれない。今後好みが変わるかもしれない。それはわかってるが。

でもわたしには響かねえなって、思ったんだ。

それはわたしがネガティブ野郎だからなのか、厭世家くさいところがあるからなのか……

本心としては理由なんてなんでもいいわー、と感じているのだが、それでも面倒な性格をしているので、そうと割り切れずに、なんでだ?とこんな夜中に考えてみた。AM3:30、早く寝たい。

 

わたしがぶっ飛ばしたい相手って、気にくわない奴らとか、不甲斐ない自分とか、その程度……いや、その程度と言えるほど優しい敵ではないので、違う言い方しよ。

 

わたしがぶっ飛ばしたい相手は、わたしの視界(または脳内)にしかいないのだ、そんなことに気づいた。

 

いまだ記憶にこびりつくあいつら

悪気はなくとも綺麗な目で地雷を思いっくそ踏んでくる大学の人

そんなに理由ないけど嫌いだなと思う見知らぬ他人

炎上している誰かの発言

それに囚われてる自分

底辺というか、もはや地面を突き抜けて地球の核部分を突き抜けて反対側のブラジルに到達しそうなほど低すぎる自己肯定感を持つ自分

その他諸々自分

 

わたしの敵は視界(脳内)の中にしかいないのだ。だから、人類の未来を邪魔する「課題」をぶっ飛ばそう!という意志に共鳴かできない。両眼と脳みその中だけで必死なんだもん、マジ。だから世界のためにとか社会のためにとかまったくそこまで視野が届かんのね。

 

それがいけないこととは思わない。

うざいほど書いてる気がするけどほんとわたし「人それぞれ主義」なので……わたしがそれでいいと思えばわたしの中でそれは正解なので……加えれば、世界共通課題に目を向けてる人は人として素晴らしい!と言ってるわけじゃないの……

 

わたしが好きなロックンロールって、小さな世界で自分のために戦うロックンロールなんだなって、これらの流れで思った。

 

小さな世界というのはライブ会場の規模とかではなく。

無駄にイラつく日常

殴りたいくらい腹立つ誰か

自分を愛せない自分

それをどうにか解決、いや、除去してえ! コノヤロウ!って蹴り飛ばして発散してえ! そんな気持ちって、日常的で、誰にでもあって、まあだからと言って他人と共有できるかというとそんなこともなくて、世界的な問題に比べたら小さな世界だよねと言いたいのだ。

その人その人にとってはすげえ邪魔な問題で生きづらさご提供問題なんだけど、マクロで見たらちっぽけな悩みや怒り。

それをぶっ飛ばそうとしてくれるロックンロールが大好きだ。

 

知るか! バーカ! コノヤロウ! 

そんな、悲しさと怒りとやりきれなさがミックスされて積もり積もって、心の中でどす黒い層になってしまった「敵」を、わたしは好きなロックンロールを耳に入れることでぶっ飛ばしてやる!という意気を脳内に投入して、嫌なことを爆破させている(実際目の前の問題が解決するかと言われたらそれはまた別なので、正確には「爆破させたた気になっている」)

 

そうやって歩きにくいぬかるんだ道をどうにか進むのだ、進むしかないのだ。

 

そんな小さな世界のことで日々がいっぱいいっぱいなので、世界になんて目を向けらんねえし、だから、向けられる人たちに丸投げしようと思う。

 

小さな世界で戦うためのロックンロールは、もしかしたら世間に届かないかもしれない。

でも価値がないわけじゃない。それは絶対。

 

頑張れ日本!的な曲あっても、わたし、「日本を応援するほど元気ないです自分のこと応援するだけで死にかけてます!!」としか思えないもん。

 

わたしを助けてくれるのは、怖がりな臆病者で、でも謎に時折傲慢で、だけどいろんなモノを恨んで嫌って、そんな自分を信じられなくて否定しまくって、「まとも」に包囲された泥の中であがきまくる人たちだ。

彼らは自分の歌詞を読んで誰かを救おう!って、多少なりともあるとはしても、9割がたは思ってない気がする。知らんけど。

だけど、わたしは彼らに救われる。ひねくれ者の彼らは手を差し出してつないでなんかくれないし、わたしだってヘソが曲がりすぎて一周して正面にきた人間なので、もし伸ばされたとしてもその手にしがみつくことはしないし、できない。

でも、引っ張り上げてくれる手がなくても、彼らが世に出してくれた音楽が、彼らの存在自体が、わたしの救いである。

わたしが勝手に救われただけなんだけどな。

 

この記事の結論なんてありません。

掃き溜めだーここは。

 

秘密基地が昔から好きだ。

友達と入った押入れの中とか、河原に重ねた段ボールの中とか。

小さな、だけど外界と自分を確かに隔てるその空間が、好きだ。

それが好きな自分でよかった。

小さな世界を爆音で轟かすロックンロールも、薄暗いライブハウスの中も、共通の好きなもので盛り上がれるともだちも、わたしにとっては秘密基地だ。

イヤフォンを外せば、他人の声が耳を障る。

扉の外に出れば、コンクリ道路の硬さを感じる。

バイバイと手をふれば、孤独に苦笑いをこぼす。

秘密基地から出た後は、またぬかるみのなかを進まないといけないけれど。

秘密基地があるかないかでは、HPのタンクの減りが違うでしょ?

 

そう思っただけ。他意はなし。

時間は4:23。早く寝ろ。